「北には仰ぐ富士の峰 南にいだく駿河湾」と歌われている、風光明媚な自然環境に恵まれた原を紹介いたします。
西念寺は山門・観音堂等がある望海景勝(ぼうかいけいしょう)の寺であった。延宝年中(1673-80)火災により堂寺等を消失し、明治26年鉄道火災によって、本堂等類焼する。現在の本堂は大正15年に建立したものである。 境内に入って左手に菅原道真公をお祀りする天満宮(昭和58年)があり、西念寺門前で生まれた「白隠禅師」も、幼少の頃よくご参詣したという。
松蔭寺は、約680年前に建立された白隠宗大本山の寺で、名僧白隠が住職となってから特に有名となった。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とも歌われた白隠禅師は、貞享2年(1685)に生まれ、明和5年(1768)、84才で入寂した。その墓(県指定史跡)は、この寺の境内にある。ここには、すり鉢松の伝説や白隠禅師に関する書画・文物を収蔵した宝物館がある。
毎年4月の「白隠と夜桜祭」では、松蔭寺で法要、芸能、遺墨展等が行われ、沼川河川敷に植えられた満開の白隠桜の下で、夜桜祭りが行われ、近隣の人たちで賑わう。
長興寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で山号は海上山。約640年前の室町時代に、鎌倉建長寺の開山大覚禅師の弟子、友嶽和尚により建立された臨済宗妙心寺派のお寺です。満潮時に北の根方街道から見ると海の上に浮かんでいるように見えたことから付けられた。白隠の寺「松蔭寺」には歩いて三分ほどの距離。5月の第五日曜日または6月の第一日曜日には「こんぴら祭り・奉納泣きずもう大会」が開催される。
平安時代の初め頃、京都で勤めを終え安房の国に帰国途中の勤勉で信心深い得萬長者がこの地で息を引き取り、大きな塚に葬られました。(そのため、この地を大塚と呼ぶようになったといわれています。)この長者の死を知らされた妻は、梵貞尼という尼になり、夫の死んだ原宿を訪れお墓参りをしました。このとき休ませて戴いた網元の網に亡き夫が朝夕拝んでいた一体の地蔵菩薩がかかりました。梵貞尼の孝貞に心打たれた網元は、自ら清信禅居士と号し、梵貞尼と力を合わせて、お堂を建て地蔵菩薩の尊像を安置しました。そして、この地に山号を得萬山と号し、清信、梵貞の二文字を取り清梵寺というお寺を建立しました。
「白隠のこころと歴史を大切にする、やすらぎの白隠の里」
種別 | 名称 | 指定年月日 | 所在地 | 所有 管理者 |
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国指定文化財 | 史跡 | 興国寺城跡 | 平7/3/17 | 根古屋 | 沼津市他 |
種別 | 名称 | 指定年月日 | 所在地 | 所有 管理者 |
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県指定文化財 | 書籍 | 科註妙法蓮華経 | 昭30/4/19 | 東町 | 松蔭寺 |
史跡 | 白隠禅師自画像 | 昭43/7/2 | 東町 | 松蔭寺 | |
史跡 | 白隠禅師墓 | 昭29/1/30 | 東町 | 松蔭寺 | |
有形民俗 | 浮島沼周辺の農耕生産用具 | 平2/3/20 | 島郷 | 沼津市 | |
種別 | 名称 | 指定年月日 | 所在地 | 所有 管理者 |
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市指定文化財 | 史跡 | 伝阿野全成・時元墓 | 昭58/6/15 | 井出 | 大泉寺 |
種別 | 名称 | 指定年月日 | 所在地 | 所有 管理者 |
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その他の文化財 | 史跡 | 白隠禅師生湯井戸 | 東町 | 長沢家 | |
史跡 | 白隠禅師誕生地碑 | 東町 | 長沢家 | ||
史跡 | 帯笑園・臨春亭 | 西町 | 植松家 | ||
史跡 | 題目塔 | 西町 | 昌原寺 | ||
史跡 | 原壱ヶ浦供養塔 | 西町海岸 | |||
古文書 | 根古屋区有文書 | 根古屋 | 自治会蔵 | ||
考古資料 | 環頭太刀柄頭 | 井出 |