版画等に描かれた原5

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[5]  服部亮英 画  大正十年

 
東海道五十三次を実地踏査して、由緒深い東海道の旅の実情を世上の人々に紹介したい。又参加者それぞれの新時代の感覚と理解の下に、新光を放つ芸術の砿脈を打当てる新しい広重、新しい十返舎一九を生み出したい、との二つの希望と発想から、下山霜山(沼津出身)が主催者となり、近藤浩一路、岡本一平、池部釣、前川千帆、服部亮英、清水対岳坊等々の18人の錚々(そうそう)たる東京漫画会のメンバーは、大正十年五月一日、東京日本橋より東海道自動車の旅に出た。
 東海道の各宿は、それぞれが分担して文章、漫画絵を書いた。原は服部亮英(明治二十八年〜昭和三十年 三重県生れ 東美卒 光風会会員 文展無鑑査 別亮山人)が担当。松蔭寺を訪ねて、白隠さんと擂鉢松について、巧妙な筆で「雲烟の富士=松蔭寺鉢懸松」という文を書き、又鉢懸松の漫画絵を描いている。
 旅終了後、その成果として紙本着色絵の東海道肉筆絵巻二千巻を作り、頒布した。次頁に紹介する亮英の「鉢懸松」の絵は、その内の一巻の原の部分を切り放したもの。

 

服部亮英 画  松蔭寺鉢懸松  原 (漫画絵)

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