版画等に描かれた原7

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[7] 東海道五十三次 原  「白隠禅師の墓」 

  山下清 ペン画  昭和四十〜四十四年

 
裸の大将山下清は昭和四十年、恩師式場隆三郎死去の後を継いだ式場俊三のアドバイスを下に将来貼絵にする為の彼のライフワークとも言える「東海道五十三次」のスケッチの旅に出た。この旅はいろいろのエピソードを残し、昭和四十四年に最後の京都三条大橋にたどり着いた。しかしその頃より体調をくずし、貼絵にする事もなく二年後の昭和四十六年七月死去した。(大正十一年生、49オ)これらのスケッチや取材した場所での彼の言葉は死の二ヶ月後の昭和四十六年九月に纏められて、毎日新聞社より「山下清東海道五十三次」というタイトルで出版された。
原では白隠禅師の墓を取材スケッチしている。本の中には彼の白隠禅師の墓の絵と共に次の様な言葉が添えられている。

「墓の絵はなんべんも描いたな。横浜では外人墓地も描いたし、フランスでもゴッホの墓を描いたな。
ゴッホの墓のそばにもっといい墓がたくさんあったのに、式場先生がどうしてもゴッホの墓がいいっていうから、
暑いのをがまんして描いたな。
みんな墓におまいりにいくけど、死んだ人にわかるかな。死んだことのない人が死んだ人のことがわかるかな。
ぼくは墓のあるところがしいんとしてるとこが好きなんだ」

 
山下清 画  東海道五十三次 原  「白隠禅師の墓」

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