浮島沼のめ鹿お鹿

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浮島沼の女鹿男鹿(めじか おじか)

塩谷幸光 画

 

 大昔、まだ、富士山が煙りをはいていたころのことです。駿河湾が愛鷹山の裾のほうまで広くいりくみ、静かな波が、砂浜をいったりきたりしていました。ときには、ここに、親子連れのくじらや、イルカの大群がおとずれて、もぐったり、はねたりして遊ぶこともありました。

 長い長い年月が流れていくうちに、このいりえは、大きなさかさ富士をうつす、それはそれは大きな沼になりました。満々と水をたたえたこの沼は、風に吹かれて、東へ、西へ、旅をする浮き島が、いくつもありました。そこで、沼のほとりの里人たちは、誰いうとなく、この沼を「浮島沼」と呼ぶようになりました。一番大きな浮き島には、大木がそびえ、草がしげり、草々には美しい花が咲きみだれました。細い枝の先で、一日中さえずる小鳥、やわらかい草の植えをはね回るうさぎ、枝から枝へ飛び移っていくリス・・・。

 ある暖かな春の日のことでした。愛鷹山に住んでいた、め鹿とお鹿が、山をおり、この浮島沼のほとりに遊びにきました。初めて見る広々とした沼の景色に見とれていると、二頭の鹿のそばへ、そよそよと吹く春風とともに、美しい浮き島が近づき、

「浮き島にきませんか。とても楽しい所ですよ。」

と、誘いました。二頭の鹿は、浮き島で、楽しそうに遊んでいる小さな動物たちを見ているうちに、思わず、ぴょんと、浮き島に飛び移ってしましました。そして、時のたつのも忘れて、一日中島をかけめぐり、おいしい草を食べたり、遊んだりしました。二頭の鹿は、この浮き島が大変気に入り、ここに住むようになりました。

 それから後、沼のほとりの里人たちは、美しい浮き島に、いつも、なかむつまじいめ鹿とお鹿の姿を見るようになりました。

 「あっ、浮き島に鹿がいる。かわいいなぁ。」

 「おお、そうだ。本当にかわいいもんだなぁ。」

 「鹿と友達になろうよ。」

 「そうだ。そうだ。みんなでかわいがってあげよう。」

 「おうい、鹿さん。浮き島が近づいたら、えさをなげてあげるよう。」

 子供たちの声に、浮き島の二頭の鹿は、うれしそうに跳ね回っていました。こうして、沼のほろりの子供たちと、浮き島の二頭の鹿が、仲良しになっていきました。のらしごとにつかれ、こしをのばす里人たちも、浮き島で遊ぶ二頭の鹿を眺めては、

 「あの鹿たち、楽しそうじゃのう。あんなに飛び跳ねているぞ。」

 「ほんとじゃ。なかのいいこと・・・。」

 「鹿たちを見ていると、心がやすまるのう。」

 「わしらも、かわいがってやらんといけないのう。」

と、口々に話し合うようになりました。二頭の鹿は、やさしい里人たりに見守られて、浮き島で幸せな日々をすごしていました。

 平和な年月が、夢のようにすぎました。

 ある秋のことでした。ひどい嵐が、この沼をおそいました。あれくるう風、たたきつけるような雨、沼の水はさかまき、浮き島は、まるで木の葉のようにもまれまいした。やがて、暗闇が少しずつ深まっていくなかで、もみにもまれ続けた浮き島が、ついに、ぶきみな音とともに、二つにひきちぎられてしまいました。東の浮き島にはお鹿、西の浮き島にはめ鹿を乗せたまま、二つの浮き島は、ぐんぐん離れていしました。ますますたけりくるう風雨の中から、二頭の鹿の、たがいに呼び合う声が、しっかり戸を閉めて、嵐の静まるのを、じっと待ち続けている里人たちの耳に聞こえてきました。しかし、里人たちにはどうすることもできず、嵐の静まるのを待つばかりでした。

 一晩中吹き荒れた嵐も、東の空が明るくなるころには、すっかり静かになりました。嵐の中を、互いに呼び続けた二頭の鹿は、力を使いはたして、朝のやわらかい日差しのもとで、静かに横たわっていました。もう、互いに呼び合う気力も、食べ物を食べる元気もありません。二つにひきちぎられた浮き島は、それぞれめ鹿とお鹿をのせたまま、二頭の鹿の悲しみも知らないかのように、遠のいては近づき、近づいては遠のいて、いっしょになることがありませんでした。

 そうしているうちに、離ればなれになった二頭の鹿は、目に見えて、力がおとろえていきました。それでも、二頭の鹿は、少しでも近づこうとして、互いに岸辺にはいより、時々、残り少ない力をふりしぼって、呼び合いました。その声は、互いに元気づけているようにも、また、悲しい運命をなげいているようにも聞こえました。水かさのました沼に、舟を出すこともできない里人たちは、二頭の鹿を助けに行くこともできず、ただ、遠くから、この様子を眺めているだけでした。

 やがて、二頭の鹿に、こくこくと、死が近づいてきました。この時、め鹿もお鹿も、最後の力をふりしぼって、やっとたちあがり、前足を水にいれました。沼を泳ぎ渡ろうとしたのです。しかし、それ以上どうすることもできず、そのまま、腰を落としてしまいました。二頭の鹿は、どうしても、一緒になることができないと感じました。すみきった空を見上げる二頭の鹿の目に、ひとすじの涙が流れおちました。そして、悲しみにみちた目に、かすかな輝きが認められました。残り少ない命の火がもえて、二頭の鹿の心の中をかすめていったものは、すぎさった日々の楽しい思い出でした。・・・ふるさと愛鷹の山々をかけめぐったこと。広々とした浮き島を跳ね回ったことなど・・・。次から次へと、思い出が浮かんでは消えていきました。やがて、二頭の鹿は、ねむるように息がたえていきました。そして、め鹿とお鹿の魂は、たがいに助け合い、ふるさとの愛鷹山の頂きに向かって、空を走る雲のように、静かに、そして早く消えていきました。

 里人たちは、ついに、生きてふるさとに戻ることのできなかっため鹿とお鹿を、大変あわれに思い、その後、浮き島に渡れるようになると、東の浮き島に雄鹿塚を、西の浮き島に雌鹿塚をきずいて、ほうむってやりました。里人たちは、め鹿とお鹿が、あの世で、いつまでも仲良く、山や野原を自由にかけめぐり、楽しく暮らせることを願ったからです。

 富士山を背にした、愛鷹山のすそに広がる水田の中に、今も、雌鹿塚・雄鹿塚と呼ばれる小さな丘が残っています。