大塚のお地蔵さん

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大塚のお地蔵さん   清梵寺

塩谷幸光 画

 むかし、むかし、今から千二百年ぐらいも前のことです。安房国(あわのくに)(今の千葉県)に得兵衛という漁師が住んでいました。
 この得兵衛は、まだ若いのに大変信心深く、毎日、朝早く起きて、必ず仏様にお祈りをしていました。
 と申しますのは、この頃の漁の船は、今と比べたらおもちゃの船のようなもので、いつも危ない目に遭っていたのです。塩に流されて命からがら陸にたどり着いたといったことは、珍しいことではありませんでした。それどころか、漁をしているとき、急に大風が吹き、あっという間に船もろとも海の底へ沈んだということも、たびたびあったのです。そんなことで、その頃の漁師の仕事は命がけだったのです。

 近頃、得兵衛の家からは、
「今日も一日ありがとうございました。おかげさまで無事に仕事ができました。仏様・・・。」
 こんなお祈りの声が聞こえるようになりました。
 得兵衛の心が仏様に通じたのでしょうか。得兵衛は、漁に出ると、いつも船一杯の魚を載せて帰ってきました。

 こんなことから得兵衛は、だんだんと金持ちになり、いつしか村人から、得万長者と呼ばれるようになりました。しかし、金持ちになったからといって得兵衛は、決していい気になったりはしませんでした。
貧しかった頃と同じように質素な生活をし、仏様にお祈りすることを欠かしませんでした。

 ところがある時、村にとって、大変困ったことが起こりました。いく日もいく日も風が吹き、高い波が立って、漁が出来ないのです。村人は、毎日浜辺に立ち、沖を眺めながらため息をついていました。

 「いつになったら、この風はおさまるのじゃ。わしらは、漁ができなければひぼしになってしまう。」
「本当じゃ。わしの家では、もう食い物がなくなってしまった。困った事じゃ。」

 こんな村人のありさまを見た得兵衛は、
 「わたしが、こんなに金持ちになれたのも仏様のおかげだ。こんな時こそ、このお金を村の人々のために使わねば・・・。」
そう決心すると、今まで貯めたお金を村人のためにすべて使ってしまいました。

 「本当にありがたいことじゃ。得兵衛のおかげで命びろいをした。」
 こんなことから、ますます得兵衛に対する尊敬の念は深まっていきました。

 海が静まると、村人は、前にもましてよく働きました。
このご恩は必ず返さねばと思ったからでした。
 村人はお金がたまると、さっそく得兵衛のところにお礼にやってきました。中には、分けてあげた何倍ものお金を置いていく人もありました。

得兵衛が断ると、
 「何を言いますか。あの時、助けてもらわなければ、私達は生きていられなかったかもしれん。ぜひ受けとってください。」と、むりやりお金を置いていきました。

 得兵衛は、前よりも、お金持ちになりました。
 「ありがたいことじゃ、わたしや村人たちが楽しく暮らしていけるのは、仏様のおかげだ。」
 得兵衛は、ますます信心を重ねました。そして近くに光了寺という寺を建て、地蔵菩薩の像を安置して、朝夕お祈りを欠かしませんでした。

 

 得兵衛は、妻を呼んで、
 「わしの留守の間は、くれぐれもあとのことは頼んだぞ。仏のお祈りも、わしの分もふくめて欠かさずにやっておくれ。」
 そう言い残すと、二人の従者を連れて京へ向けて出発しました。妻も夫の言いつけをよく守り、朝夕のお祈りを、前よりも熱心にしました。

 長かった都での年月も過ぎ、今日はいよいよ安房(あわ)の国へ帰る日です。得兵衛は、家族の者や村人に都の珍しいお土産をたくさんもって、京をあとにしました。

 得兵衛は、従者に、
 「のう、お前たちもよくやってくれた。おかげで、わしも立派におつとめをはたすことができた。」
というと、従者は、
「何を申します。それより早く国へ帰って、家の人たちに安心させてあげましょう。」
などと、話しをしながら、旅を続けました。

 駿河の原の村にさしかかったときの事です。この日は、朝から西風が強く、寒々とした紺色の波が高く駿河湾いっぱいに躍っていました。少し静まったかと思うと、さっと強い風が海面を打ち、そのたびに水しぶきが飛び散ります。若いころから漁師をしていた得兵衛は、今までの経験から、とっさに嵐がくると感じとりました。

 まもなく風は、「ビューッ、ビューッ。」と、ものすごい強さになってきました。波は、「ザザーッ、ザーン。ザザーッ、ザーン。」と、大きな音を立てて浜へうち寄せてきました。それと同時に大粒の雨もふりだしました。

 「早く宿を見つけなくては・・・。」
そう思い、あたりを見渡しますが、それらしいものはありません。
 「しかたがない。今晩はこのお堂を貸してもらうとするか。」
 道すじのすぐわきに、古ぼけた一軒のお堂が目に入ったのです。得兵衛と従者は、急いでその中へ入りました。お堂はかなり荒れ果てており、はめ板ははがれ、屋根もだいぶ傷んでおりました。

 「とっさのときじゃ。外にいつよりましじゃろう。」

 やがて夜になり、嵐はますます激しさを加えてきました。はめ板の割れ目から、容赦なく雨風が吹き込んできます。三人は体を寄せ合い、嵐の通り過ぎるのを待ちました。

 朝方になると、さしもの嵐もだんだん静まり、雨も吹き込まなくなりました。従者たちも、どっと疲れがでて、うとうとと寝てしまいました。どのくらい時間がたったのでしょうか。

 「うーん。うーん。」

という苦しそうな息づかいの音で、二人の従者は目をさましました。ふと見ると得兵衛が、顔を真っ赤にし、ひたいから汗を出して苦しんでいるのです。

 「得兵衛さま、いかがなされました。」

 従者は、びっくりして得兵衛をのぞき込みました。旅の疲れと一晩中雨にぬれたことで、風をひいてしまったのでしょう。

 「早く宿をみつけて、よいお医者にみてもらわなければ・・・。」

 さっそく、村人に宿のある場所を聞き、得兵衛をそこに移しました。

 この宿屋の主人は大変親切な人で、一番良い部屋を三人のために用意してくれたばかりでなく、この地方で見立ての良いことで有名な医者も呼んでくれました。

 「さぁ、わしがついてくれば大丈夫だ。この薬を飲めば、たちどころに熱も下がるはずじゃ。」

 医者からも手厚い看護を受け、従者もひと安心です。

 ところが、得兵衛の熱はいっこうに下がりません。それどころか、前より一層苦しそうです。高熱の為、うわごとを言いはじめました。

 「仏様・・・仏様・・・。」

 こんなことを繰り返して言うのです。

 「得兵衛さま。お気を確かに持ってください。」

従者は、必死になって呼び掛けました。

 宿の主人もあわてて、またお医者を呼びにやりました。

 「先生、どんなあんばいですか。」

 心配のあまり、医者をのぞきこむ従者の顔も青ざめていました。

 「わしも、ずいぶん病人をみてきたが、どうもよくわからん。」

 「先生、何とかして下さい。お金はいくらでも出します。」

と、一生懸命頭を下げて、お願いしました。

 「出来る限りのことはしたから、あとは天のおぼしめしじゃ。」

 こういい残すと医者は帰っていきました。

 従者は枕もとにつきっきりで、手ぬぐいで頭を冷やしたり、声をかけたりして、必死になって看病しました。

 そのかいがあってか、得兵衛の熱もしだいに下がりはじめ、うわごとも言わなくなりました。

従者も安心したのでしょう。そばで居眠りをはじめていいました。

 それから、どれほどの時間がたったのでしょうか。にわとりの時を告げる声で飛び起きた従者の一人が、ふと得兵衛の床に目をやると、寝ているはずの主人がおりません。どこへ言ったのかと思い、あわてて障子を開けると、そこに得兵衛がすわっていたのです。

 得兵衛は海の方に向かい、必死になって手を合わせているのです。

 「だんな様いけません。まだ十分病気が直っておりません。早くお床へお戻り下さい。」

 「いや、よいのじゃ。わしの命ももう長くないようじゃ。ついてはな、なんとしても心残りは安房の国に残した妻のことだ。どうか仏様を厚く信心するように伝えておくれ。」

 「何をおっしゃいます。熱も下がってきたことではありませんか。気を強く持ってください。」

 ところが、得兵衛が言ったとおり、それからまた様子が悪くなり、三日目に息をひきとってしましました。従者は泣くなく得兵衛の塚(お墓)を近くに作り、手厚くほうむりました。

 このことから、後に、このあたりを「大塚」と呼ぶようになったと伝えられています。

 この知らせは、早馬で安房の国にいる妻のもとに届きました。今日来るか明日来るかと心待ちに待っていた妻はこの知らせを聞いて、大変びっくりしました。その日から、妻は、亡くなった夫を思い、泣いて暮らす日が何日も続きました。

 このありさまを見た従者は、大変哀れに思い、ある日、あらためて、得兵衛の最後の様子を話し
「強く生きてください。」とお願いをしました。これを聞いた妻は、
 「そうだ、いつまで悲しんでいても夫は喜んではくれないでしょう。私もあまさんになり、仏様につかえましょう。」
と、決心しました。
 さっそく黒髪を切り、名も梵貞尼(ぼんていに)と改め、尼としての生活を始めたのでした。

しばらく読経にあけくれる静かな日が続きましたが、梵貞尼の心のすみにあったのは、なんとしても夫の死んだ駿河の原の地へ行ってみたいという願いでした。

 そこで、梵貞尼はわずかばかりの供の者を連れて、原へ向けて出発しました。原の村に着くと、さっそく夫の墓にお参りをして、あらためて夫の意志を受け継ぐことを固く誓ったのでした。

 お参りが済むと、梵貞尼はすぐ近くにある網元の家でひと休みさせてもらいました。その時、この家の主人は近くの浜に出て網を引いていましたが、その網に何の奇縁か地蔵菩薩がかかったのです。網元はその地蔵尊を家に持って帰りましたが、それを見た梵貞尼は腰が抜けるほどびっくりしました。この地蔵尊は亡き夫が日頃拝んでいたものだったのです。

 「これはきっと夫の魂がこの地蔵尊に乗り移り、わたしに会いに来たに違いない。」

 梵貞尼は像の前にひれふし、夫の霊をまつり、塚(お墓)を守ることを誓いました。

 この不思議なありさまを、まのあたりに見た網元も、大変心を打たれ、髪を剃り、静信禅居士(せいしんぜんこじ)と名を改め、お坊さんになったのでした。そして二人はなお一層の信心をし、この地にお寺を建てたのでした。この寺の名を静信・梵貞の二字をとり清梵寺と名付けました。

 この寺は、原では「お地蔵さん」とよばれ、今も夏の縁日には多くの参拝者があって、賑わっています。