原町郷土の歌

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原町郷土の歌
      
一、 南は深き駿河湾 北には富士と愛鷹の 峯を望みて其の昔 東海道の名駅と
世に謳われし我が町の 今の事ども調べつつ 文の林に匂わせて 花咲く様も眺めばや
          
二、 西は富士郡柏原 東片浜今沢に 隣りて広き一方里 気候温和に景色よく
尽きぬ宝ぞ海の幸 豊ならずや山の幸 出でし偉人を知るや君 史実の花を知るや君
          
三、 名僧知識 万世の 範と尊び百代の 師と仰がるヽ大偉人 白隠禅師の霊場は
松蔭寺とて名に高く 今も聳ゆる擂鉢の 松に千歳の色こめて とはに昔を語るなり
         
四、 数ある寺の名は如何に 地蔵菩薩の清梵寺 一本松と桃里の 境に立てる大通寺
原宿西の徳源寺 日蓮宗は昌原寺 西念長輿寺夫々に 語る由緒も厳めしや
           
五、 要の社 疣神と 詣づる宮の数多し 大塚町は神明宮 秋葉高木の三杜
原の浅間神社こそ 神饌幣帛とりどりに 捧げまつらる定めにて いとも尊き宮居なれ
      
六、 六軒町の浅間社 一本松の三社宮 桃里植田両地には 浅間神社八幡宮
其の産土の祭典は 我が日本の大祭日 神嘗祭と同じ日ぞ 露な忘れそ神の徳
          
七、 御幸の跡も数多度 御手植松の深翠 幾十返りの末までも 朽ちぬ誉は植松の
帯笑園と知られたり 風流韻士門に満つ 書画骨董や草木も いや珍らしく夥し
           
八、 水禽の音に驚きし 平家の軍の笑い種 九郎判官義経の 勢揃いせし浮島が
里は何處ぞ今は只 一本松や桃里や 植田の町と開け来て 跡を尋ねん由もなし
             
九、 海と湛えし浮島の 沼も次第に水涸れて 鱒釣る舟も葦の間の 小溝を辿り秋くれば
黄金漲る万頃の 美田と化しぬ流石にも 利益は深し増田翁 美徳は高し増田翁
             
十、 戸数八百六十餘 男女や老い若き くるめし人の数々は 六千二百七十四
其の人々の生業は ドロンオークの手工業 製紙漁業に飴行李 麻糸真田いと多し
          
十一、 殊に名高き桃の産 春は曙紅の 雲と棚引く花景色 あかぬ眺の一つなり
年々殖ゆる愛鷹の 畑には通す甘藷 其の切干も豊にて 製茶養蚕亦盛ん
         
十二、 出荷の多く乗客の 住来も繁き停車場は 明治三十まり三の年 如月末に開けたり
東京駅を発車して 九十哩五時間路 静岡まては一時間 三十哩計也
            
十三、 郡下は愚か全県に 顆稀なる校堂は 美尽し美を尽くしつつ 停車場近く聳えたり
見よ輪愌の壮大を 此の学び舎に物学ぶ 親しき友よいぎ励め 励みて学べ国のため
             
十四、 江路の四十八曲り 今は開けてまっすぐに 矢通り路の通いよし 町は貫く東海道
馬車の往来もいと繁く 流石昔の名残あり 其の南の松原は 甲州路も残るなり
           
十五、 畏れおおくも天皇の 御即位式のめでたさを 記念にせまく町民の 深き望は遂げられて
電話も今は開けたり 日に栄え行く町の様 いざや歌わん歌いつつ なおも尽さん町の為
              
十六、 町の行未 双肩に 担って立つは誰が任ぞ 心あるもの徒に 過去を誇るな向上の
前途に強き光明を 認めて励め発展の 進路に高き理想郷 描きて進めいざやいざ


大正五年小学校第六学年望月ゑつ様「綴方清書帖」より

※ 「原町郷土の歌」は、当時の学校の先生が、町の様子や歴史を歌に綴ったものである