松蔭寺のすりばち松

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 昔、原の松蔭寺に、白隠という、和尚さんがおりました。
原の人たちは、「あの和尚さんほどの、えらいお坊さんはいない。」
「一度、和尚さんのお話を聞くと、ありがたくて、ありがたくて、涙がこぼれるほどだ。」
などと、言いあっては、和尚さんを、誉めたたえておりました。
 原の人達ばかりではありません。和尚さんの評判をきいて、日本中のあちこちから、大勢の人が、原にやってきました。有名な殿様でさえも、和尚さんから、話を聞いて、勉強する人がいました。

 このころ、備前国(岡山県)に、池田という殿様がおりました。江戸(今の東京)へ出かける時や、江戸から岡山へ帰る時、原の松蔭寺へ立ち寄って、白隠和尚から教えをうけるのを、何より楽しみにしていました。

 ある年の秋のことです。池田の殿様は、たくさんの家来を連れて、江戸から岡山へ旅を続け、原の宿に入ってきました。
「下にーっ、下に。」人々は、「それ、備前の殿様だ。」
「あの殿様は、なかなか立派な方だそうな。」
「いや、その立派な殿様が、わしらの村の松蔭寺の和尚さんを学問の先生として、大変尊敬しているのだよ。」などと、地面にすわって、おじぎをしながら、話をしあうのでした。

 やがて、行列が、松蔭寺の前にさしかかりました。
殿様は、「これ、これ。今日のこの時を、待ち遠しく思っていたのだ。白隠和尚にぜひお会いしたいと、早く伝えてくれ。」と、おそばの家来に、言いました。
 家来が、お寺へ駆けこんで、小坊主に知らせますと、小坊主は、急いで、奥の部屋にいた白隠和尚に、
「和尚さま、今、池田の殿様が、和尚さまにお会いしたいとおっしゃられて、ご門の前にお着きになりました。」といいました。
 白隠さんは、にこにこ笑って、
「やあ、池田の殿様が見えられたか。よく、お立ち寄りになられた。さあ、これへ、ごあんないをしなさい。」
と、心から、喜んでいる様子でした。

 白隠和尚と、殿様は、奥の部屋で、何時間も話しあっていました。久しぶりで、二人だけの話ができたので、それはもう、話がはずんで、本当に楽しそうでした。
 寺では、小坊主たちが、殿様に、ごちそうを作ろうとして、一生懸命に働いていました。
大きなすりばちを、蔵から出して、山芋をすり、殿様の大好きなとろろ汁を作ることになりました。
 小坊主たちは、「よいしょ、よいしょ。」と、大きなすりばちを運びました。
そのときです。「ガチャーン。」一人の小坊主が、つまづいてすりばちをとり落としてしまったのです。
 その音は、静かな寺の奥の方まで、聞こえました。
殿様は、「いや、ただいまの音は、何の音ですか。」と、聞きました。
白隠和尚は、とろろ汁作りをすることを知っていましたので、
「いえ、ご心配なく、あれは、小坊主がすりばちを落として割ったのでございます。あやまちは誰にでもあること。お気にされないように。」と、静かに、しかも優しく言いました。
 それを聞いた殿様は、白隠和尚の落ち着いた様子に感心して、
「そうでしたか。実は、ご存じのとおり、私の国は、焼き物で名高い備前焼きの名産地です。小坊主の思わぬあやまちを、何も気になさらず、お許しになろうとする和尚の気持ちにまったく感じ入りました。今まで、教えていただいたお礼もいたさなければなりません。それで、心を込めて焼いたすりばちを、五つほどもお届けいたすことにしましょう。」と、にっこり笑っていいました。

 やがて、一ヶ月ほどたったとき、池田の殿様から約束どおり、すりばちが送り届けられました。
白隠和尚は、「やあ、これは、なかなか立派なすりばちだ。大事に使って、池田の殿様の暖かい心づかいを、いつまでも心にとどめたいものだ。」と、大変に喜びました。
ちょうどその時、庭の松の木が一本、この間の嵐の為に、折れたままになっているのに気づいた白隠和尚は、
「おお、そうだ。あのままでは、折れたところから、水がしみこんで、少したつと腐って枯れてしまうだろう。このすりばちをかぶせてやろう。」
と、五鉢並んだすりばちの名から、ひときわ立派なものを選び出すと、松のおれたところに、ひょいと、かぶせました。

 その時から、松は、和尚さんの優しい心づかいにこたえるように、ぐんぐんと大きく育っていきました。
すりばちも、松が育っていくとともに、どんどん高くなっていきました。
 風が吹いても、嵐が来ても、すりばちは落ちませんでした。
人々は、「不思議だ。どうして落ちてこないのだろう。」
「いや、あれは、白隠さんのやさしい心がこもっているので、落ちるはずがないのだ。」
「備前岡山の殿様も、さぞかし、あの世で、喜んでおられるだろう。」などと、口々に話し合いました。

 人々は、「松蔭寺のすりばち松」といって、この松を見るたびに白蔭和尚のやさしい心を忍びました。
「あの松も枯れることなく、あのすりばちも落ちることなく、いつまでもいつまでも、かわらないように・・・」と、人々は、祈らずにはいられませんでした。

 この松は、今、原の東町にある松蔭寺の山門の東、二十メートルほどのところに、高さおよそ二十五メートル、太さは大人で二かかえ半もあり、およそ、三百年はたつと思われる大きな木になっています。
 この松を見上げると誰でも、「あっ。」と、驚いてしまいます。
それもそのはず、松の木の地面からおよそ二十メートルのあたりに、大きな「すりばち」が、かぶさってあるではありませんか。
 今では、「松蔭寺のすりばち松」として、だれ一人、知らない人はありません。

 松蔭寺は、約680年前に建立された臨済宗白隠派大本山の寺で、名僧白隠が住職となってから特に有名となった。

 「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とも歌われた白隠禅師は、貞享2年(1685)に生まれ明和5年(1768)、84才で入寂した。

 その墓(県指定史跡)は、この寺の境内にある。ここには、擂鉢松の伝説があり、白隠禅師に関する書画・文物を収蔵した宝物館がある。

 毎年4月の「白隠と夜桜祭」では、松蔭寺で法要、芸能、遺墨展等が行われ、沼川河川敷に植えられた満開の白隠桜の下で、夜桜祭りが行われ、近隣の人たちで賑わう。