浮世絵に描かれた原 01

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 [01] 東海道五十三次之内 原

一般に版元の名から保永堂版東海道と呼ばれる。天保四・五年の作、広重最高傑作シリーズで、大ヒットとなり、以後風景画の第一人者となる。
 原の図は、二羽の鶴が遊ぶのどかな浮島ヶ原、朝日を浴びた雄大な富士の姿は画面を突き出て描かれ、その前には従者を伴った二人の女性の旅人を描く。原の字の下には「朝之富士」と彫られている。

 

初代歌川広重について
初代広重は本姓安藤氏、名は幼名徳太郎、後に重右衛門、徳兵衛、寛政九年(1797)〜安政五年(1858)、13オで父より火消同心の職を継ぐ。浮世絵は15オで歌川豊広に入門し、歌川広重を名のり、一遊斉、一幽斉、一立斉、立斉等と号した。
 彼は各地の風景画、武者絵、芝居・役者絵、美人画等の多くの浮世絵・肉筆画を残しているが、天保四年(1833)保永堂版東海道を描いて名声を博し、以後次々と東海道シリーズを描いた。
 生涯に20種以上の東海道シリーズを描いたといわれるが、正確な数は不明。彼は風景画の大家と呼ばれ、特に東海道といえば彼を連想する程なじみ深い。
 安政五年、62オで没した。死因は当時流行していたコレラの為ともいわれている。
″東路(あずまじ)へ筆をのこして旅のそら西のみ国の名ところを見舞(みむ)"
の辞世の句を残している。
東海道五十三次之内 原  朝之富士(保永堂版)

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