浮世絵に描かれた原 26

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 [26] 東海道五十三次 十四はら

  重宣(二代広重、立祥)画、安政元年二月 改印 山甚(山城屋甚兵衛)版 横小判錦絵

 
重宣(文政九年〜明治二年)は初代歌川広重の門人で、姓は鈴木、名は鎮平といい、重宣は彼の初期の画名で、一幽斉と号し、初代没後、広重長女の婿となり二代広重を襲名し、一立斉、立斉と名乗った。師の作風を守り、署名もよく似ていて判別しにくい。後、離縁し横浜に住んで喜斉、立祥と称し、横浜絵、開化絵等を残した。
 この作品は彼28オ、二代を襲名する前の作で、第40号で紹介した初代広重の人物東海道をそっくりまねたもの、違うのは横小判型にし、富士山を低く描き、又中央にあった二本の大松を右側に寄せて描いている点である。
 当時は師匠の作品をまねたり、一門共通の絵手本を使ったりした為、よく似た図柄が見受けられる。
 例えば第48号で紹介した国貞(三代豊国)の作品は、彼の描く美人の背景となる風景は初代広重の保永堂版東海道の図柄とそっくりである。今では盗作、贋作として大きな問題となるところだが、当時はこの様な事は普通でおおらかな時代でもあった。
 彼は二代広重時代や離婚後の立祥時代に何点かの東海道物を残しており、幕末を代表する浮世絵師の一人であった。

 

重宣画、東海道五十三次 十四はら

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