浮世絵に描かれた原 41

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 [41] 東海道中膝栗毛(画帳)原

 
十返舎一九作  享和二年〜文化六年 後、文化十一年発端一冊を加えた九編十九冊の滑稽本

 弥次さん(弥次郎兵衛)喜多さん(喜多八)の二人の道化者が、江戸から東海道を伊勢参宮して京・大坂を見物する道中の失敗談、滑稽談が狂歌入りで楽しく描かれ、当時庶民に大変親しまれ読まれた大ベストセラーで後の膝栗毛物と呼ばれる一形態を作った。
 原の場面は三島でごまの灰(旅の道中、旅人を装い他人の物をかすめとる盗人)に金を盗られ困った末、沼津で出会った侍に財布を売り、わずかの路銀を得て原に入る。そばを喰い一服した後、浮島が原を通り柏原でうなぎの匂いを嗅ぎ嗅ぎ、次の吉原宿に向う二人の滑稽話が、三首の狂歌と共に書かれている。
 一九の東海道中膝栗毛画帳には、各宿に自作の絵と狂歌が入り、原には

"まだ飯もくはず沼津をうち過てひもじき原の宿につきたり"

の句と二人の旅姿が入っている。その後そばやで大盛りのそばを食べて出立、途中の句

"今くひしそばは富士ほど山もりにすこしこころも浮島が原"

原の句の最後はあわれ、うなぎの匂をかぎかぎ通り過ぎる所で一首、

″蒲焼のにほひを嗅ぐもうとましやこちら二人はうなんぎの旅"

と入っている。
 十返舎一九は明和三年生れ父は駿河の町奉行同心で奉行所勘定をつとめる。彼は諸所を放浪の未、江戸に出て「東海道中膝栗毛」を書き、滑稽本の第一人者となった。

東海道中膝栗毛 原

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